III.  小 脳 の 発 生
 
a ) 小脳の形態発生
 小脳(Cerebellum)は上に述べたように、後脳の菱脳唇から形成される。胎生第3月において、後脳の菱脳唇は急速に増大し、第四脳室の内腔に向かっても、また背外方に向かっても、著明に隆起する。これらを内および外小脳隆起といい、肥厚した菱脳唇の全体を小脳板という。
 左右の小脳板は、頭側部では狭い蓋板が介在するのみで相接しているが、尾側部では広い蓋板によって互いに遠く隔てられている。橋彎曲が高度になるにつれて、小脳板の尾側部は更に遠く左右に隔てられ、終には左右の小脳板は、脳の長軸に対して直角な一直線をなすようになり、同時に左右の小脳板の頭側部(今では内側部)が増大して合一し、胎生第3月の終り頃には、小脳原基は左右両側部が大きくて、正中部が小さい亜鈴形となる。その後の発育によって、正中部から小脳虫部が、左右の膨大部からは小脳半球が形成される。
 小脳原基が増大するにつれて、虫部にも半球部にも横走する溝が発生する。最初に出現するのは後外側裂(Fissura poetero-lateralis)で、後に小脳小節(Nodulus)および片葉(Flocculus)となる部分を、残りの大部分である小脳体から境する。つぎに膨隆しつつある小脳体のほぼ中央部に、小脳第一裂(Fissura prima)が生じて、小脳体を前葉と後葉に分ける。
 胎生第4月から第5月にかけての小脳体の発育は目覚しく、小脳は急速に増大し、その背側表面には新しい溝が次々に出現して、前葉と後葉を更に細かく分断し、第5月の終りには虫部における主な区分(小節も含めて10個の小脳葉)がほぼ完成する。
 これらの溝はその部分の発育が隣接の部分の発育よりも緩やかなために、急速に発育する隣接部の間に取り残されたものであり、原則として先ず虫部に現れ、これが半球部に伸びていく。10個の小脳葉は、その後それぞれ固有の発育を行うが、その間に第2次、第3次の溝が現れて、各小葉を多数の小脳回に分ける。
 ヒトの小脳の発生においては、このような外形の発生(Morphogenesis)は胎生の前半ないし第6月の終り頃には一応完成する。これは他の哺乳動物と比較すると極めて早い。これと同程度の小脳の外形の完成は、イヌでは胎生の末期に、マウスでは生後においてようやく達成される。
 
b) 小脳皮質の組織発生
 上に述べた形態発生の結果、極めて広大な表面積を獲得した小脳の表面には、神経細胞が一定の様式で層状に配列して、小脳皮質と呼ばれる特別の構造を形成する。この組織発生(Histogenesis)は他の脳部には類例を見ない、極めて特異なものである。
 小脳板においても、始めは胚芽層・外套層・縁帯の基本的3層が分化する。やがて外套層の表層部にやや大型の神経細胞が出現し、小脳板の背側表面にほぼ平行に1列に並ぶ。これが小脳皮質に特有のプルキンエ細胞(Purkinje cells)の幼若形である。
ついで、小脳板が第四脳室蓋板に移行する部分、即ち、小脳板の尾側端部の胚芽層において盛んな細胞分裂が起こり、ここで生じた未分化細胞は縁帯の最表層部を頭側に遊走して小脳板の全表面を被う未分化細胞の層を形成する。これは小脳に特有の構造で、胎生顆粒層または外顆粒層(embryonic or external granular layer)と呼ばれる。
 この胎生顆粒層は、始めしばらくは未分化の状態を維持するが、やがて、胚芽層における細胞の新生が終わる頃から、急に活発な細胞分裂を開始し、その結果、胎生顆粒層は著明に肥厚し、長楕円形の核が数列密に並んだ多列円柱上皮様となり、胚芽層におけるのとほぼ同じ様式で盛んに細胞を新生する。
 やがて、マウスでは出生直後から、イヌでは胎生末期頃から、胎生顆粒層の内側、即ち、深部に、小型の円形の核がやや疎に並んだ層が識別されるようになる。この層は従来、胎生顆粒層の内亜層と呼ばれてきたものである。本層の細胞は既に分裂能力を失っており、幼若な神経細胞となっている。これらの細胞は一定の時間ここに留まった後、急に縁帯およびプルキンエ細胞の層を貫通して、プルキンエ細胞の層の下(深部)に達して、ここに新しい細胞層を作る。これを内顆粒層(internal granular layer)という。内顆粒層に達した細胞は、ここで最終的に成熟して、小脳皮質に特有の顆粒細胞(granule cells)となる。
 胎生顆粒層(これは内亜層ができてからは外顆粒層と呼ばれる)は、その後の一定期間存続して、盛んに細胞を作り出す。これらの細胞が内亜層を経て皮質の深部に移動し、内顆粒層に達するので、内顆粒層は次第に厚くなり、細胞密度もまた急速に増大する。このような外亜層における細胞の新生が、必要かつ十分な量に達すると、外亜層における細胞分裂は止み、外亜層は急速に薄くなって消失する。これにやや遅れて、内亜層の細胞も皮質の深部にすべて移動してしまい、内亜層も消失する。こうして胎生顆粒層はある時期がくると完全に消失して、その痕跡を留めない。胎生顆粒層が消失した後では、内顆粒層は単に顆粒層と呼ばれる。
 このような胎生顆粒層の成立様式、本層における細胞分裂の様式、ならびに本層において生じた細胞が内亜層を形成した後、皮質の深部に移動して内顆粒層に達する過程は、3H-thymidineを用いるautoradiographyによって、近年始めて明らかになった。Autoradiographyによって、小脳皮質を構成する神経細胞のうちで、プルキンエ細胞と(内)顆粒層の中に散在する大型の細胞であるゴルジー細胞(Golgi cells)とは胚芽層から生じ、顆粒細胞と縁帯(後の分子層)の中に散在する籠細胞(basket cells)および小皮質細胞(superficial stellate cells of Cajal)は胎生顆粒層から生じることが明らかになった。また、胎生顆粒層は小脳の表面に形成された胚芽層であり、その外亜層と内亜層の関係が、小脳の顆粒層の発生における胚芽層と外套層に相当する意義を持つことも明らかになった。
 プルキンエ細胞は、後で述べるように、発育するにつれて縁帯の中に多数の樹状突起を伸長させる。こうなると、縁帯はこれらの樹状突起に満たされて次第に広く(厚く)なり、分子層または灰白層(molecular layer or Stratum cinereum)と呼ばれるようになる。従って、胎生顆粒層が消失すると、小脳皮質は表層から深部に向って分子層・プルキンエ細胞層・顆粒層の3層からなる特異な層構造を示すことになるが、この3層構造は小脳全体を通じて原則的に同一である。このことは、高度の局所的変異を示す大脳皮質に対して、著しい対比をなす。
 第四脳室に面する胚芽層から発生する神経細胞のうちで、小脳皮質の形成に参加しないものは、第四脳室に近い外套層の深部に集まって小脳核を形成する。そのうちで小脳虫部の領域にできるのが室頂核、栓状核および球状核で、小脳半球の領域にできるのが歯状核である。
 
c ) プルキンエ細胞の発育
プルキンエ細胞は上述のように、第四脳室に面する胚芽層において産出され、外套層の表層部に遊走してきた大型の神経細胞である。この細胞は、始めは長軸を小脳の表面に直角に向けた西洋梨形で、細胞体の表面から多数の樹状突起を無秩序にあらゆる方向に出している。この形は、体の矢状面に平行な(小脳の長軸に直角な)面に扇形に分枝する特異な樹状突起を持つ、成熟したプルキンエ細胞の形とは全く異なっており、生後1日のイヌのプルキンエ細胞の形から、生後35日のイヌのほぼ完成したプルキンエ細胞の形態を想像することは、全く不可能である。イヌやマウスでは、プルキンエ細胞は出生時にはこのように全く未熟な状態にあり、これが生後の短い期間内に急速に成熟形に達することも、小脳皮質の組織発生における特異な現象である。
 未熟なプルキンエ細胞は、始めは徐々に成長していき、細胞全体が大きくなると同時に、小脳皮質の表面に向かう側の樹状突起が次第に太く長くなり、しかもその出発部が1本にまとまってくる。長くなった樹状突起は胎生顆粒層を押し上げて縁帯(分子層)を広くし、その厚さを決定する。
 イヌでは生後10日を過ぎると、プルキンエ細胞の成長が加速され、生後30日を過ぎるとほぼ成体におけると同様の形態を示すようになる。細胞体から四方八方に出ていた多数の樹状突起の大部分が消失し、1本または2本の幹が成長していくメカニズムについては、今日なお解明されていない。
このようにイヌでは生後約4週間の短い期間内に、プルキンエ細胞は驚くべき成長とこれに伴う形態の変化を遂行するが、この期間は胎生顆粒層から内亜層を経て内顆粒層へ送られる顆粒細胞の生産と同時期である。イヌのように比較的早い時期から自立し、運動を始める動物において、小脳の組織発生が生後4週間において行われているという事実は驚くべきことである。
一方、ヒトでは小脳皮質の組織発生は、イヌやマウスに比べると非常に早く、小脳の外形の発生がほぼ完成する胎生第6月以後の胎生期間中に進行し、出生時には胎生顆粒層は既に消失し小脳皮質の組織構造はほぼ完成形を示している。
 以上の事実からすると、新生児の運動機能と小脳皮質の組織構造の分化との間に何らかの関連を求めることは、合理的とは言えない。
 
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