II. 脳の発生概説と菱脳および中脳の発生
 
1. 脳の発生概説
脳は神経管の頭側端部を占める、内腔の広い、頭尾方向に細長い袋状の脳胞から形成される。神経管の尾側部をなす脊髄管が、その全長にわたって、ほぼ一様の発育を遂げるのに対して、脳胞の発育は部位によってまちまちであり、その結果、完成した脳の形態は極めて複雑なものになっている。
 頭側(前)神経孔が閉じて間もなく、頭尾方向にも、左右方向にも、急速に発育・増大していく脳胞の2ヶ所において発育がやや緩やかになり、その結果、この部分がくびれてくる。こうなると単一の袋であった脳胞は、前脳胞・中脳胞および菱脳胞の3個の袋が頭尾方向に連なった状態となる。
 脊髄の頭側に続く菱脳胞は、この時期には3脳胞のうちで頭尾方向の長径がもっとも大きく、しかもその中央部付近で左右の幅が広くなり、全体としては、長軸を頭尾方向に向けた細長い菱形を呈する。これが菱脳という名前の由来である。菱脳は頭側半の後脳(Metencephalon)と尾側半の髄脳(Myelencephalon)に分けられる。菱脳の頭側に続く中脳胞は比較的単純な管状の脳胞である。
 神経管の頭側端部を構成する前脳胞は、菱脳胞や中脳胞よりも遅れて発育する。前神経孔が閉じた時点では、前脳胞はほとんど後の間脳胞の部分のみからなり、その左右の壁の腹側部から、眼球の原基である大きな眼胞が左右に向って突出する。やがて前脳胞の頭側端部は頭方に向かって軽度に膨大して終脳胞をつくり、その左右両側壁が左右に向かって大きく膨大・隆起する。この膨大部を半球胞といい、発生の進行とともに急速に膨大して、巨大な大脳半球を形成する。左右の半球胞の出発部を連ねる部分は、神経管の頭側端部を閉ざす部分で、のちに終脳室無対部の頭側部を閉ざす終板となる。
 こうして胎生第6週の終り頃には、脳の原基は頭側から尾側に向かって、終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳の5部が連なった状態となる。菱脳(後脳)と中脳の移行部の背側壁は、この時期に特に高度に陥入して、菱脳峡(Isthmus rhombencephali)と呼ばれる。また、菱脳の背側壁は極端に薄くなり、単層立方ないし単層扁平上皮である上衣細胞の外を、単層扁平上皮である皮膚外胚葉が被うのみで、神経管の内腔(菱脳室の内腔)が外から透けて見える状態となる。これを菱脳蓋という。
 これらの脳胞の内腔は、始めのうちは相対的に広く、形も単純であるが、発生が進むにつれて、各脳胞の発育および脳胞壁の発育・肥厚によって、次第に相対的に狭くなり、同時に変形して、複雑な形の腔の連増となる。表1はこれらの脳胞から発生する脳の各部とその内腔の名称である。

表 1.
脳 胞   それから発生する脳部       脳胞の内腔      完成した脳室名
       髄脳胞------------------延髄
菱脳胞  後脳胞   腹側部----橋        菱脳室          第四脳室
              背側部----小脳
中脳胞                 中脳      中脳室          中脳水道
       間脳胞-----間脳             間脳室          第三脳室
前脳胞  終脳胞   無対部            終脳室無対部
              半球胞---大脳半球    側脳室          側脳室

 これらの脳部のうちで、発生の早期にはまず菱脳が非常に大きくなり、ついで中脳が発育する。これは、この時期に進行する眼面の発育に対応するものである。この時期には前脳、特に終脳の半球胞の発育はなお弱小である。このように、脊髄・延髄・橋・中脳など、身体末梢部と直接関係を持つ部分は、胎生の前半において、ほぼ成体と対比できる形態を完成するが、身体末梢と直接の関係を持たない間脳や終脳は、胎生の後半において特に強大な発育を遂げ、胎生の末期になってはじめて成体と対比できる形態を示すようになる。
 脊髄管が頭尾方向にも腹背方向にも一直線をなしていたのに対して、脳胞は頭尾方向には一直線であるが、腹背方向には3箇所で強く屈曲する。
第1の屈曲は脊髄と菱脳(延髄)の移行部を頂点とする湾曲で、凸面を背方に向けてほぼ直角に腹方に曲がる。これを項彎曲(項屈)という。
第2の彎曲は菱脳の長径の中央部付近を頂点とする彎曲で、項彎曲とは逆に腹方に凸面をむけて、強く、90゜以上、彎曲する。この湾曲を橋彎曲という。
第3の彎曲は中脳胞の長径の中央部を頂点する彎曲で、第1の彎曲と同様に頂点を背側に向けてほぼ直角に腹方に彎曲する。これを頭頂彎曲という。
以上の脳砲の屈曲は、そのまま、この時期の胎児の頭部の形態を決定する。
 
2.菱脳の発生
  a ) 菱脳の発生概説
 菱脳の発生において最も特異なことは、蓋板が極端に薄くなり、同時に左右の幅が広くなることである。即ち、前神経孔がなお広く開いている胎生第4週の終り頃になると、菱脳の蓋板は極端に薄くなり、単層扁平ないし単層立方上皮様になり、その外側に皮膚外胚葉の単層扁平上皮が密着している状態となる。これと同時に、頭尾方向に細長い菱脳の長径の中央部付近を中心にして蓋板が左右に広がり、その結果菱脳の蓋板は全体として頭尾方向に細長い菱形となる。前神経孔が閉じる胎生第5週になると、蓋板の左右方向の拡大は一層進み、この薄い蓋板を通して菱脳室の内腔が外から透けてみえるようになる。これが胎生第5週から第7週の胎児の特徴である。この薄くなった蓋板を菱脳蓋という。
 この蓋板の左右への拡大は、橋彎曲によって増強されるので、橋彎曲の頂点である菱脳の中央部、即ち、後脳(橋)と髄脳(延髄)の移行部付近で蓋板の左右の幅は最大となり、それより頭側および尾側では次第に狭くなり、全体として菱形となる。
蓋板の変化に応じて、始め脊髄におけると同様に菱脳室の左右の壁をなしていた翼板と基板は、次第に外方ないし腹外方に倒れていき、結局、菱脳室の底を作ることになり、全体として菱形窩(Fossa rhomboidea)と呼ばれる。こうなると、底板は菱形窩の正中部を頭尾方向に走る溝(正中溝)となり、翼板と基板を境する境界溝は同名の溝として、正中溝の左右を、外側に凸側を向けた弓形を描いて、頭尾方向に走ることになる。
こうなると、菱脳室は腹背に扁平で、頭尾方向に長く、左右に広い菱形の腔となる。これを第四脳室という。左右の幅の最も広い部分は、第四脳室外側陥凹として、外方(lateral)に突出する。
薄くなり、菱形になった蓋板は、上述のように、非常に薄くなった外胚葉性の単層扁平上皮、即ち、上衣細胞でできており、その外側を皮膚外胚葉が直接被っているのであるが、やがて両者の間に間葉組織が進入してきて、第四脳室脈絡組織となる。この間葉組織の中には多数の血管が発生し、これが上衣細胞層を脳室の中にヒダ状に突出させる。これを第四脳室脈絡叢(Plexus chorioideus ventriculi quarti)という。
第四脳室脈絡組織の尾側正中部において、上衣細胞が部分的に消失して、第四脳室正中孔が開き、続いて左右の外側陥凹においても、同様にして第四脳室外側孔が開く。

 b) 菱脳の組織発生(神経核の形成)
菱脳においても、翼板と基板では胚芽層・外套層・縁帯の分化が起こり、外套層は神経細胞で満たされる。しかしながら、これらの神経細胞は脊髄におけるように一続きの灰白柱を作らず、いくつかの細胞塊に断裂する。このような神経細胞の集団を神経核、または単に(Nucleus, pl. nuclei)という。
菱脳においては、運動性ならびに知覚性の脳神経核が多数存在しているが、これらは雑然と存在しているのではなく、それらの配列には整然とした規則性がみられる。
基板に生じる神経細胞は3つの運動神経核群に分化する。
(1) 内側核群(M1)は、正中線の両側で脳室上衣細胞の直下に位置し、頭部の体節から生じた骨格筋を支配するもので、体運動核群(somatic efferent nuclei)と呼ばれる。これに属するものは、舌下神経核(XII)と外転神経核(VI)とである。
(2) 外側核群(M2)は鰓弓由来の骨格筋を支配するもので、特殊内臓運動核群と呼ばれ、舌咽・迷走・副神経(IX, X, XI)、顔面神経(VII)、および三叉神経運動核(V)がこれに属する。この核群は脳室上衣直下の位置を離れて腹外方に移動し、結局、菱脳の腹側面の近くで、境界溝よりも外側に位置するようになる。
(3) 最外側核群(M3)は脊髄の側角に対応するもので、境界溝の内側に接して、脳室上衣細胞の直下に存在し、内臓の筋や腺の働きを支配する。迷走神経背側核(X)と上下の唾液核(VIIとIX)がこれに属し、一般内臓運動核群と呼ばれる。
 翼板に生じる神経細胞もまた3つの神経核群に分化する。
(1)内側核群(S1)は境界溝の外側に接し、脳室上衣の直下に位置するもので、内臓からの求心繊維を受け入れる。これは一般内臓知覚核と呼ばれ、迷走神経背側核の知覚性部(J.N.A. の灰白翼核)がこれである。
 (2)中間核群(S2)は舌咽および迷走神経、ならびに顔面神経を経て、鰓弓領域からくる味覚繊維を受け取るもので、特殊内臓知覚核と呼ばれ、孤束核がこれに属する。この核も脳室上衣直下の位置を離れて、腹外方に移動する。
 (3) 外側核群(S3とS4)は体知覚核群と呼ばれ、三叉神経から繊維を受ける三叉神経上知覚核と三叉神経脊髄路核が属する一般体知覚核(S3)と、内耳からの求心繊維を受け入れる蝸牛神経核および前庭神経核が属する特殊体知覚核(S4)とがこれに属する。
 なお、知覚性脳神経(V, VII, VIII, IX, X)は、それぞれ神経節を持っているが、これらは脊髄神経節と相同で、菱脳領域の神経堤に由来する。

  c ) 菱脳唇
菱脳の翼板の背外側部で、薄くなった蓋板との移行部は、その後特殊な発育を遂行するので、特に菱脳唇と名付けられる。
 菱脳の尾側半をなす髄脳の領域では、菱脳唇における盛んな細胞分裂によって多数の神経細胞が生じる。これらの神経細胞は縁帯の中を腹内方に遊走して基板の縁帯に達し、正中線の両側に大きな神経核を形成する。これらの神経細胞のうちで髄脳の頭側部から発生したものは、頭方に遊走して、後脳の腹側部に達し、ここに大きな橋核(Nuclei pontis)を形成する。一方それよりも尾側の菱脳唇から生じた神経細胞は、髄脳(延髄)の腹側部に集まって、オリーブ核(Nucleus olivaris)を形成する。
 髄脳の菱脳唇がこのような分化を遂げるのに対して、後脳の菱脳唇からは巨大な小脳が発生する。小脳の発生については、章を改めて詳述する。

  d)髄 脳
 菱脳の尾側半をなす髄脳は、全体として延髄(Medulla oblongata)となる。 延髄の頭側約2 /3の範囲は、上に述べた発生過程によって、菱形窩の尾側半部を形成し、舌咽、迷走、副、および舌下神経の諸核を生じる。これに対して延髄の尾側約1/3の範囲では、内腔は第四脳室の形成に参加せず、狭い裂け目のような中心管として、脊髄中心管に続く。この範囲では、発生様式も内部構造も脊髄によく似ているが、特別なものとして、後索の内部に翼板由来の大きい神経核が生じる。即ち、薄束核(Nucl. gracilis)と楔状束核(Nucl. cuneatus)である。これらは脊髄後索(長後根繊維)に接続する中継核である。
これらの後索核から出る神経線維は、腹内方に走って交叉(内側毛帯交叉)した後、正中線の両側部を上行する著明な繊維束(内側毛帯 Lemniscus medialis)を形成して、間脳の視床(Thalamus)に達する。また、延髄の腹側部に形成されたオリーブ核から出た繊維も、正中線を横切って(交叉して)反対側の延髄の背外側辺縁部に集まって小脳に入る。このように正中線を横切って交叉する繊維が増えるにつれて、その通路である底板は次第に交叉繊維で満たされて厚くなり、正中縫線(Rhaphe)と呼ばれるようになる。
 延髄においても、上行および下行する神経線維は、始めは縁帯を通っている。しかし、発生が進んで上行および特に下行する神経線維が増えてくると、これらは外套層にも進入してくる。また上に述べたように、外套層の中には横走する繊維も増えてくる。こうして外套層は次第に密に、縦走および横走繊維によって埋められる。さらにこれに伴って、一部の神経核が遊走・転位するので、始め比較的明瞭であった灰白質と白質の区別が次第に不明瞭となり、終には特定の核と繊維束、ならびに延髄表層の白質を除いては、灰白質と白質とを区別することが不可能になる。このように神経線維によって埋められた外套層の神経線維の間には、翼板および基板に由来する神経細胞が、単独または小群を作って、散在している。このような構造を、全体として延髄網様体(Formatio reticularis)という。
 胎生第4月において、延髄の腹側面で正中線の両側に接する部位の縁帯は、大脳皮質から下行してくる神経線維によって埋められ、ここに著明な下行繊維野ができる。これを延髄錐体という。これを構成する神経線維が有名な錐体路(pyramidal tract)であるが、これは大脳皮質に属するもので、延髄固有の構造物ではない。

  e) 後 脳 
 菱脳の頭側半をなす後脳においては、翼板の背側部を占める菱脳唇から強大な小脳が形成され、翼板の腹側部と基板からが成立する。
 完成したヒトの脳では、橋は背側の橋背部または橋被蓋と呼ばれる部分と、その腹側に続く強大な橋底部とに分けられる。
 橋背部は菱形窩の頭側半をなす部分で、後脳の翼板と基板とから形成され、ここに三叉(V)、外転(VI)、顔面(VII)および内耳(VIII)神経の諸核が生じる。灰白質と白質の区別が不明瞭になり、外套層を埋める神経線維とこの中に散在する神経細胞によって網様体が形成されること、および正中線を横切る交叉繊維によって底板に正中縫線が形成されることは、延髄におけると同様である。橋背部はこのように発生学的には後脳固有の構造であり、発生の早期にはこれが橋の全てであり、錐体を除く延髄の諸部に対応するものである。
 橋底部は個体発生的にも、系統発生的にも、橋背部より新しい付加的構造物である。胎生第3月の経過中に、髄脳の菱脳唇の頭側部から多数の神経細胞が遊出し、後脳、即ち、後の橋背部になる部分の腹内側部の縁帯の中に集まってくる。これが橋核(Nucl. pontis)の原基である。胎生第4月になると、ここに大脳皮質からの下行繊維が、内包および大脳脚を経て到着する。この繊維は橋核の神経細胞によって取り囲まれ、橋核を頭尾方向に貫く繊維束として、橋縦束と呼ばれる。この橋核と橋縦束とが橋底部を形成する。発生が進むにつれて、橋核に神経細胞が増え、橋縦束の神経線維が増えるので、始め小さかった橋底部は次第に大きくなり、胎生第5月になると既に著明な隆起として認められる。
 橋縦束は、周知のように、大脳皮質から出発して、橋および延髄の運動性脳神経核、ならびに脊髄前角の運動性神経細胞に至る錐体路繊維と、大脳皮質から出て橋核に至る皮質橋路繊維とからできている。橋核の神経細胞から出る繊維は、橋底部を横走して反体側の橋の外側辺縁部に集まり、強大な中小脳脚として小脳に入る。このように、橋核は大脳皮質からの興奮を反対側の小脳皮質に伝達する中継核で、系統発生的には大脳皮質に対応する最も新しい構造物の一つである。
 
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