I 中枢神経系の発生概説と脊髄の発生 |
1.神経管の形成 |
中枢神経系、即ち、脳と脊髄とは、全身の諸器官のうちで最も早期に発生を始め、しかも全体としては最も遅く成熟する、特異の器官系である。 受精によって成立した原胚子(後の胎児)は、受精後6〜7日目に子宮に到着して着床を開始し、第2週の終り頃には完全に子宮粘膜の中に埋没する。 この時期には、将来、胎児の体を形成する部分は、腹側の単層立方上皮様の内胚葉(Entoderm)と、その背側に接する単層円柱上皮様の外胚葉(Ectoderm)とが重なった、全体としては円盤状の胚盤(Blastodiscus)を形成している。 胎生第3週に入ると、活発な細胞分裂を行っている外胚葉から、一定の様式で細胞がほぐれ出して、外胚葉と内胚葉の間に第3の細胞層を形成する。これが中胚葉(Mesoderm)である。中胚葉は、やがて正中線上に位置する脊索突起(notochordal process)と、その左右に分節的に配列する体節(Somite)と、分節化せずに体節の外側(左右)に広がる側板(lateral plate)に分化する。 脊索突起は、始めは胚盤の頭側半の正中線上で内胚葉にはめ込まれた状態にあるが、間もなく内胚葉から分離して脊索(Notochord)となる。体節の形成は第3週の終わり頃、将来の頭部と頸部の移行部付近から始まり、それから頭側に数対、尾側に約40対が、1日約3対の割で日を追って形成される。 このような中胚葉の分化につれて、外胚葉にも目覚しい変化が起こる。即ち、脊索突起の背側にあたる胚盤の頭側半の正中部において、外胚葉細胞が活発な増殖を始め、細胞の数が増えるとともに細胞の丈が高くなり、互いに密に配列する。その結果、この部分は他の部分、即ち、外側の部分の外胚葉から明らかに区別される厚い板状を呈するようになる。この厚い板状の外胚葉を神経板(neural plate)といい、これから脳および脊髄の総てが形成される。 神経板の左右両側縁、即ち、神経板とその外側の外胚葉の移行部においては特に細胞分裂が盛んであり、この部分は次第に高まって神経隆起(neural ridge)となり、ここから正中部に向って細胞が送り出される。その結果、正中部は次第に深くくぼんで神経溝(neural groove)となり、神経板は全体として樋(とい)状となる。 神経板の左右に続く外胚葉は細胞の丈が高くならず、やがて単層扁平上皮様となり、将来、体の表面を被う皮膚の上皮性部となるので、これ以後、皮膚外胚葉と呼ばれる。 左右の神経隆起は、神経溝の背側を被うようにして次第に相近づき、ついに相接着する。こうして樋状の神経板は管(神経管 neural tube)となる。ついで神経管は皮膚外胚葉から離断して、胎児の背側正中部の皮下に埋没する。 左右の神経隆起の癒着、即ち、神経管の成立は、7対の体節を有する胎児(受精後22日頃)において、将来の脳と脊髄の移行部付近から始まり、ここから頭側および尾側に向って進む。従って、これ以後の一定の期間においては、神経管の頭側端と尾側端は羊膜腔に開いている。この開口部を頭側(前)および尾側(後)神経孔という。前者は体節が20対の頃、後者は体節が40対の頃に閉じる。 神経管は、このように外胚葉から発生した完全閉鎖性の上皮性の管として成立し、これ以外の外胚葉、即ち、皮膚外胚葉から離断して、胎児の背側正中部の皮下に埋没するのである。 神経管が皮膚外胚葉から離断するとき、両者の移行部にあたる神経管の背側端部においては、特に細胞分裂が活発で、新しい細胞を両者の間に送り出す。この部分を神経堤(Neural crest)という。神経管が離断・埋没してからも、神経管の背側端部からは盛んに細胞が送り出され、神経管と皮膚外胚葉の間に板状の細胞集団ができる。これらの一部は、やがて体節に対応して分節的に配列する細胞集団に分かれ、脊髄神経節や交感神経幹神経節などの他、脳および脊髄以外の場所における神経細胞の母体となる(後述)。 神経管は全長を通じて一様の太さを示すのではなくて、脳の原基である頭側部は、始めから尾側部よりも著明に大きく、袋状に膨大していて、脳管または脳胞と呼ばれる。これに対して脊髄の原基である尾側部は細くて、ほぼ一定の太さを示し、脊髄管と呼ばれる。 |
2.神経管の組織発生 |
神経板は、始めは単層の円柱上皮で構築されているが、盛んな細胞分裂によって、間も無く多列円柱上皮となり、神経管が成立した時には、その壁は数層に配列した長楕円形の核を持つ多列円柱上皮として示される。 Fig. 4aと4bは、成立したばかりのラットの神経管の横断面と縦断面を、厚さ約0.5μmの準超薄切片で示したものである。神経管を構成する細胞が、内腔に向かう自由表面(内境界膜)から外側の基底面(外境界膜)に達する円柱状の細胞であることが、明らかに示されている。 これらの細胞の分裂によって、神経管は全体として増大し、その壁も厚くなるが、やがて長楕円形の核が密集した領域の外側に、核を殆ど含まない層が識別されるようになる。この層を縁帯(Marginal layer)という。 縁帯の出現に続いて、長楕円形の核が密集した領域の辺縁部に、円形の核が比較的疎に配列する領域(層)が認められるようになる。この層を蓋層または外套層(Mantle layer)という。 こうして胎生第4週の終り頃になると、神経管の壁には、同心円状に並んだ以下の3層が識別されるようになる。 (1) 最内側の層は、神経管の内腔を放射状に囲んで密に配列する数列の長楕円形の核の層で、その最内層、即ち、内境界膜に接する部位には多数の核分裂の像が認められる。この層を胚芽層(Matrix)または上衣層(Ependymal layer)という。 (2) 第2の層は外套層で、本層の細胞は、胚芽層における細胞分裂によって生じ、神経管の内面(内境界膜)との連絡を失って、分化しつつ、外方へ遊走してきたものである。この時期に既に2種類の細胞群への分化が始まっている。一つは神経細胞に向かう分化(神経芽細胞)であり、もう一つは神経膠細胞に向かう分化(神経膠芽細胞)である。 (3) 最外層は縁帯で、本層は核を殆ど含んでいない。本層は胚芽層の細胞の細胞質性突起と、外套層における神経芽細胞および神経膠芽細胞の細胞質性の突起が作る網工からできている。外套層における神経細胞が増加すると、これらから出る神経線維の多くは縁帯に進入して、この網工を埋めるので、縁帯は次第に厚くなる。 以上の3層のうちで、外套層は発生の進行につれて急速に肥厚する。それは本層が、胚芽層から遊出する神経芽細胞ないし幼若な神経細胞を絶えず受け入れているだけでなく、個々の幼若神経細胞が本層において成熟し、樹状突起を伸長させて、広い空間を占めるようになることによるものである。本層はやがて神経管の壁の大 部分を占めるようになる。 一方、胎生の後期になって胚芽層における神経芽細胞および神経膠芽細胞の産生が少なくなると、胚芽層は次第に薄くなり、終には神経管の内腔を縁取る一列の円柱状の細胞を残して、胚芽層は消失する。この残った一列の細胞を上衣細胞(ependymal cells)という。 胚芽層が消失する時期は、脳および脊髄の部位によってまちまちである。 |
3.胚芽層における細胞分裂 |
胚芽層は、成立当初の神経管の上皮における、数層をなして密に配列した長楕円形の核の領域そのものである。本層においては、神経管の内腔を囲む自由表面(内境界膜)に接して有糸核分裂像が認められ、それよりも外側(外境界膜に近い側)では内境界膜に対して直角に配列した長楕円形の核が数列密に存在している。 この特異な核の配列は、既に古くから注目されており、特に内境界膜直下の分裂像にはHisの芽細胞という名前が与えられていた。しかし、これらの核ないし細胞の相互関係、言い換えれば、胚芽層の内部における細胞分裂の様式、ならびに神経芽細胞と神経膠芽細胞の成立様式が解明されたのは比較的最近のことである。 藤田晢也(ふじた せつや)は1963年にautoradiographyによってニワトリ胚の神経管を観察し、以下のことを明らかにした。 3H-thymidineを注射して30分、60分、120分・・・と経時的にニワトリ胚を固定してautoradiographyを行うと、まず最初に3H-thymidineを取り込んで標識(label)されるのは、胚芽層の深部(内境界膜から遠い側)約1/2〜1/3の範囲に存在する核である。標識核はその後時間の経過につれて次第に内境界膜に近いところに位置するようになり、さらに時間が経つと内境界膜直下の分裂中期の像を示す核が標識されるに至る。この時期を過ぎると、標識核は次第に内境界膜から遠ざかり、ついには再び最深部に位置するようになるが、この場合1核あたりの標識銀粒子の数は始めの半分になっている。また3H-thymidineの注射をある期間反復して行うと、胚芽層に存在する総ての核が標識される。 以上のことは、胚芽層に存在する核は本層の深部でDNAを複製し、核分裂の前期(Prophase)の核の変化を行いながら上昇して内境界膜の直下に達し、ここで中期(Metaphase)を経て分裂し、後期(Anaphase)および終期(Telophase)の変化を行いながら下降し、休止期の核に復帰しながら、もとの深部に帰ってくることを意味している。また3H-thymidineの反復注射によって総ての核が標識されたことは、胚芽層を構成する細胞は唯1種類の未分化細胞であり、総ての細胞が核を上下に移動させながら、分裂・増殖を繰り返していることを示すものである。藤田はこれを核のエレヴェーター運動と呼んだ。 このように胚芽層の細胞は細胞分裂を繰り返しているのであるが、やがて胚芽層の深部に復帰した核のうちに、もはやここでDNAの複製を行わないものが現れる。このような核を持つ細胞は、内境界膜との連絡を失い、胚芽層の外に遊出する。これが神経芽細胞(および神経膠芽細胞)であり、これらによって外套層が形成されるのである。 神経芽細胞はもはや分裂せず、外套層において成熟して神経細胞になると考えられてきた。しかし、3H-thymidine を用いるautoradiography とAcetylcholinesterase(AChE)の活性の検出を同一切片で行う方法を用いて、分裂能の消失とAChEの活性の出現を神経細胞への分化の指標として検索した結果によると、内境界膜の直下で分裂し、もはやDNAの複製をしなくなった核を持つ細胞では、分裂直後に既にこのAChE活性が出現し、核が外境界膜に向って下降するにつれて、胞体における酵素活性が強くなり、核が外套層に達した細胞はもはや神経細胞そのものであることが明らかになった。即ち、胚芽層における未分化細胞の神経細胞への変化は、最終分裂の直後に起こっており、これらの細胞は幼若な神経細胞と呼ぶべきであることが明らかになった。即ち、 胚芽層で最終分裂を終えて外套層に出てきた細胞は、既に分裂能力を失っており、神経芽細胞(neural blasts)という名前には相応しくなく、幼若な神経細胞と呼ぶべきものである。 神経膠芽細胞の出現は、上記の神経芽細胞(実は幼若神経細胞)より遅く、藤田によると、神経芽細胞の形成の末期になって始めて出現するという。 胚芽層における神経芽細胞および神経膠芽細胞の産生が終わりに近づくと、胚芽層における細胞分裂は次第に少なくなり、核は次第に重なりを減じ、やがて分裂像は殆ど見られなくなり、終には唯1列の長楕円形の核が神経管の内腔を縁取るのみとなる。この1列の細胞が上衣細胞である。 |
4.神経管の壁の分化 |
神経管の壁における上述の胚芽層・外套層・縁帯の3層への分化は、しかし、神経管の全周において一様に起こるのではない。このような分化の過程は神経管の左右両側壁においてのみ起こる。その結果左右の両側壁は著しく肥厚するが、背側壁と腹側壁においては細胞分裂が少なく、従って、胚芽層に相当する核の多層化もあまり著明でない。 背側壁を蓋板(roof plate)、腹側壁を底板(floor plate)という。これらの部分では神経芽細胞が生じないので、外套層の形成は見られない。しかし、主として胚芽層の細胞(最終的には上衣細胞)の突起からなる縁帯は形成され、ここが左右両側壁に生じた神経細胞の突起(神経線維)が反対側に達する際の通路となるので、所によってはここが非常に厚くなる。このことは一般に底板において著明である。 左右の両側壁は、盛んな細胞分裂によって同心円的に肥厚していくだけでなく、腹背方向にも増大する。そのため、始め円形であった神経管の横断面は、次第に腹背方向に長い楕円形となる。さらに、左右両側壁における細胞増殖、特に神経芽細胞の形成が、発生の早期においてはその腹側半部で著しく、背側半部でやや遅れるので、腹側半部と背側半部とが区別されるようになる。 腹側半部を基板(basal plate)という。ここに生じる神経細胞は一般に大型で、その神経突起の多くは神経管から出て、神経管の左右にある体節の筋板(Myotom)に達して、そこに発生する骨格筋を支配する。従って、基板の細胞の基本的性格は、発動性ないし運動性(efferent and/or motor)とみなされる。 背側半部は翼板(alar plate)と呼ばれ、ここに生じる神経細胞には神経管の左右両側に形成される脳脊髄神経節(後述)からの受衝性ないし知覚性神経線維が終わり、またこの部の神経細胞の神経突起は神経管の内部の各所に達して、その部の神経細胞に接続する。このように翼板に生じる神経細胞は受衝性(afferent)および連合性(associative)機能に関与するものである。 神経管の外側壁を内側から見ると、翼板と基板の境界部にあたって頭尾方向に走る浅い溝が認められる。これを境界溝(Sulcus limitans)または外側溝(Sulcus lateralis) という。この溝は神経管のほぼ全長にわたる、即ち、脊髄から中脳にまで達する、縦走する溝として認められ、中枢神経系の各部において翼板由来の受衝性ないし知覚性の部分と、基板由来の発動性の部分の境界を示すものである。 |
5. 神経堤 |
神経板が閉じて神経管となり、皮膚外胚葉から離断して、外胚葉下に埋没する際に、神経板と皮膚外胚葉の移行部にあった細胞群は、神経管からも皮膚外胚葉からも離れて、神経管の背外側部で神経管と皮膚外胚葉の間に介在する板状の細胞柱を形成する。これを神経堤または神経稜(neural crest)という。神経管の背側端部からは、神経管が成立してからもなお暫くは、多数の細胞が送り出されて神経堤に参加する。 神経堤の外胚葉細胞のうちの一部は、やがてほぐれて間葉細胞となって神経管の周囲を疎に満たすが、残りの外胚葉細胞は分節的に形成される体節に対応して分節的に配列する細胞塊を形成する。この細胞塊が、脳脊髄神経節や交感神経幹神経節を始めとする、総ての末梢神経系の神経細胞および支持細胞であるシュヴァン細胞の原基である。 神経堤から生じる神経細胞には、大別して2種類がある。 第1は知覚性脳脊髄神経節の主成分である偽単極性細胞で、始めは紡錘形の双極神経細胞であるが、次第に2本の突起(軸索)の起始部が近づいて、終に共通の起始部を持つようになる。2本の突起のうちの1本(末梢枝)は、体節の皮板(Dermatom)に由来する皮下組織(知覚性脳神経の場合にはそれぞれの感覚装置)に達し、他の1本(中枢枝)は神経管の外側壁の背側部、即ち翼板に進入して、脊髄神経の後根あるいは知覚性脳神経を作る。ただし、第8脳神経の神経細胞では、このような起始幹に1本化が起こらないので、前庭神経節の細胞も蝸牛神経のラセン神経節の細胞も、典型的な双極神経細胞である。 第2の神経細胞は多極性神経細胞で、いわゆる内臓運動性神経細胞に分化する。これらの細胞は分化しながら腹方に遊走していき、脊柱の腹側に分節的に配列する交感神経幹神経節を形成し、さらに遊走して各種の内臓神経節や壁内系(アウエルバッハ神経叢およびマイスネル神経叢)などの神経細胞となる。さらに副腎髄質の細胞や旁節のクローム親性細胞も神経堤に由来する。 このような神経細胞の分化に伴って、神経膠芽細胞も分化する。それは末梢神経線維の伸長に伴って、神経線維に髄鞘を付与しながら末梢へ遊走していくシュヴァン細胞となり、また末梢神経節において神経細胞の胞体を包む外套細胞(stellate cells or mantle cells)となる。 神経堤の細胞のうちで、ほぐれて間葉細胞となったものからは、脳および脊髄の被膜である柔膜(Pia mater)とクモ膜(Arachnoidea)が形成され、またメラニン産生細胞である色素芽細胞(melanoblasts)も神経堤から生じる。 |
6. 脊髄の発生 |
脊髄は中枢神経系のうちで最も基本的な部分であり、大体において上述の神経管の一般的形態を保ち、その全長にわたってほぼ一様の構造を示す。また身体末梢部に対する運動性および知覚性の支配関係も極めて整然としており、分節的に形成される身体各部に対する脊髄の分節的支配関係が明瞭である。このように脊髄は中枢神経系の構造および機能を考える上での基本的な部位である。 脊髄では翼板および基板の外套層は多数の神経細胞の集積によって肥厚し、全体として脊髄灰白質となる。既に述べたように、基板の発育は翼板のそれに先行し、発生の早期にはまず基板が広くなり、全体として脊髄前角を形成する。基板の神経細胞の神経突起(軸索)は縁帯を貫いて、脊髄前根繊維として神経管の外に出て、そのすぐ外側(lateral)に形成される体節の筋板に達し、そこに形成されている筋芽細胞(後の骨格筋)に対して支配関係を樹立する。この支配関係は一度成立すると終生変化することがなく、その後の発生過程で骨格筋が移動したり、分割したりすると、神経もそれにつれて伸長し、枝分かれして、追随していく。横隔膜の骨格筋が主として第4頚神経によって支配されていることは、その最も顕著な例である。 基板の最背側部から生じた神経細胞は、脊髄前角の背外側部に集まって、脊髄側角を形成する。 一方、基板より遅れて発育する翼板は、全体として脊髄後角を形成する。翼板の神経細胞は、神経管の外に形成された脊髄神経節から脊髄後根繊維として入ってくる偽単極性神経細胞の中枢枝に接続し、これによってもたらされた求心性刺激を、脳および脊髄の各部に伝達する。 後角の神経細胞の神経突起(軸索)には長短さまざまのものがある。短いものは同じ分節の内部で同側および反対側の前角の細胞に接続する。やや長いものは、同側および反対側の異なる分節の前角の細胞に接続する。発生が進むにつれて、次第に長いものが増えていき、ある分節に入った刺激が次第に遠くの分節にまで伝達され、終には脳にまで伝達されるようになる。 これらの連合繊維は、最も短いもの以外は、すべて縁帯を通るので、縁帯も次第に厚くなる。また反対側に行く繊維は、殆ど全部、底板の縁帯を通るので、底板の縁帯は次第に厚くなって、将来の白前交連を暗示するようになる。 脊髄神経節から脊髄に入ってくる後根繊維には、大別して3種類がある。 痛覚・温度覚・および粗な触覚を伝える繊維は短く、脊髄に入るとすぐに後角の神経細胞に接続して終わる。 筋覚・腱覚などの深部知覚を伝える繊維はやや長く、脊髄に入ってもすぐには終わらず、数分節上昇してから、後角の付け根にある脊髄背核に終わる。 高等な触覚を伝える繊維は最も長く、脊髄に入ってもそこの分節に終わることなく、翼板の縁帯の中を頭側に進み(上昇し)、延髄に至ってその部に出現する神経細胞に接続して終わる。この長い後根繊維は、始めは翼板の背外側部の縁帯を埋め、全体として細長い楕円形の横断面を示し、卵円束と呼ばれるが、その後、翼板、即ち、後角の背外方への拡大と、これらの長い後根繊維の増加につれて、次第に後角の背内側に位置するようになり、最終的には後角と正中線の間を埋める脊髄後索となる。 縁帯は、既に述べたように、翼板および一部は基板の神経細胞の神経突起(神経線維)の通路として、頭尾方向(上下方向)に走る神経線維によって埋められていき、全体として脊髄白質となる。始めのうちは脊髄の異なる分節の間を結ぶ比較的短い繊維、即ち、後に脊髄固有索となるものだけであるが、発生が進むにつれて次第に長い繊維が増え、特に脳の形成が進むと、脊髄から脳へ上行する繊維と、脳から脊髄へ下行する繊維が増加する。特に下行繊維は胎生の後半において急速に増加して、終にはこれが脊髄白質の大部分を占めるようになる。これに伴って、脊髄の横断面において灰白質と白質の占める面積の割合が逆転し、白質の方が脊髄横断面の大部分を占めるようになる。さらに、胎生の後期から生後のある期間にかけて、脊髄白質を構成する個々の神経線維が髄鞘を持つようになる。こうなると白質は一層厚くなり、白質の灰白質に対する優位は決定的となる。 このようにして翼板と基板とが強大になり、背外側方向と腹外側方向へ増大していくのに対して、蓋板および底板はあまり大きくならないので、それぞれ、左右の翼板と基板の間に取り残された形となり、次第に深く脊髄の表面から陥没していく。こうしてできた凹みが脊髄の後正中溝および前正中裂である。 神経管の内腔は発生の進行とともに次第に狭小となり、特にその背側半は左右の翼板の癒着によって消失し、結局、脊髄のほぼ中軸部を貫く中心管となる。 脊髄は、始めは全長を通じてほぼ一様の太さを示すが、上肢および下肢が形成されると、これに多くの神経線維を送り、また多くの神経線維を受け取るようになるために、当該の部位においては神経細胞および神経線維が増加する。これによって頚膨大および腰膨大が成立する。 脊髄は、始めはその周囲に形成される脊柱とほぼ同じ長さを持っている。胎生第3月以降、脊柱の長さの成長が加速されるのに対し、脊髄の長さの発育が比較的ゆっくりと進むために、脊髄は脊柱に対して相対的に短くなる。脊髄は頭側端で脳に続いており、脳が頭蓋骨で囲まれているために、脊柱が長くなるにつれて、脳に続く脊髄は脊柱管の中に吊り下げられた状態となり、脊髄の尾側端は次第に脊柱管の中を上昇していき、結局、第1腰椎の高さとなる。これを脊髄の上昇という。これに伴って、始め脊髄に対してほぼ直角に外側(lateral) に走って椎間孔に達していた脊髄神経の前根と後根は、脊柱の長さの成長につれて椎間孔が相対的に尾方に転位するので、頚神経の上部以外では、次第に斜めに尾方かつ外方に走って椎間孔に達するようになる。 |
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