V  間 脳 と 終 脳 の 発 生
 
1.  前脳胞の分化
 前神経孔が閉じて間もない胎生第4週の終り頃においては、前脳胞は中脳胞の頭側に続く単一の袋をなし、その殆どは将来の間脳原基である間脳胞である。この前脳胞の外側壁の腹頭側部から外方(lateral)に向って相対的に非常に大きい眼胞(optic vesicle)が膨出している。この眼胞の出発部の頭側(前方)で神経管は閉ざされているのであるが、この神経管の頭側端を閉ざす薄い板状の組織を終板(Lamina terminalis)という。
胎生第5週および第6週の経過中に、前脳胞の頭側端部(前端部)で、眼胞の出発部の頭側で背側にあたる部分の外側壁が、外方(lateral)から背外方(dorsolateral)に向って大きく膨出し、左右1対の大きな袋を形成する。これが半球胞(Hemispherium)で、それぞれ、相対的に広い通路で前脳胞の内腔の頭側端部(前端部)に通じている。この交通路を室間孔(Foramen interventriculare)といい、これによって半球胞とつながっている前脳胞の頭側端部(前端部)を終脳正中部、その内腔を終脳室無対部という。終脳室無対部の尾側(後方)につづく、これまでの前脳胞の大部分は、これ以後間脳胞と呼ばれ、その内腔は間脳室となる。間脳室と終脳室無対部とを合わせたものが、第三脳室(Ventriculus tertius)である。

(これ以後の記述においては、完成したヒトの脳における方向用語を用いる。)
 
 半球胞は、その後急速に増大し、前方・背方・後方および後下方に広がって、間脳はもとより、中脳やその尾側に続く小脳までも、外方および背方から被い隠してしまう。このように、マントが体を被うように半球胞がそれ以外の脳部を被っているところから、半球胞、特にその外側部と背側部は外套と呼ばれる。
 半球胞の増大につれて、半球胞の内側面と間脳胞の外側面の間は、次第に深く凹んで溝ができる。これを半球溝という。また間脳胞の領域を越えて前方および背方に拡大した左右の半球胞の内側面は、疎な間葉組織に満たされた狭い間隙を介して向かい合うことになる。この狭い間隙を大脳縦裂または半球間裂といい、この中を満たしている間葉組織から、後に大脳鎌が発生する。
 
2.  間 脳.
a. 間脳発生の基本様式
間脳の発生様式は比較的単純で、実質的な神経細胞の発生は左右の外側壁においてのみ起こり、背側壁(天井)と腹側壁(底)においては著明な肥厚が見られない。特に背側壁は、単層扁平ないし単層立方上皮となり、外から間葉組織によって裏打ちされて第三脳室脈絡組織となる。この背側壁をなす単層扁平ないし立方上皮を上皮性脈絡板という。第三脳室脈絡組織から正中線の左右に平行して走る1対の第三脳室脈絡叢が生じ、脳室内にヒダ状に突出する。
 間脳の外側壁には前後方向に走る浅い溝が認められる。脊椎動物を通覧すると3本の溝とそれによって境された4つの領域が区別される。しかし、ヒトでは、これらのうちで間脳腹側溝のみが著明で、これは、背側の視床と腹側の視床下部を隔てる溝として、視床下溝(Sulcus hypothalamicus)と呼ばれる。

 間脳の外側壁におけるこの状態は、脊髄管の外側壁における翼板・境界溝・基板の関係を想起させるが、しかし、実際は、視床を翼板に、視床下部を基板の対応させることは不可能である。境界溝の頭側端は中脳と間脳の移行部である乳頭体陥凹(Recessus mamillaris)の付近で終わっている。従って、前脳の外側壁はすべて翼板の延長部と考えられている。

b. 視 床
 視床(Thalamus)は間脳外側壁の背側半部の肥厚として発生する。始めは比較的小さくて、腹側半の視床下部とほぼ同じ大きさであるが、胎生第3月以降、総ての方向に向って増大して、強大な灰白質となる。第三脳室の内部に向って隆起した左右の視床の内面は、脳室を狭めながら、次第に相近づき、通常、一部で癒着する。この癒着部を視床間橋(Adhesio interthalamica)または中間質(Massa intermedia)という。
胚芽層における盛んな細胞分裂によって生じた多数の幼若神経細胞は、外套層および縁帯の各所に集合して、前核・内側核・中心核・腹側核・視床枕核などの視床核を形成するが、これらの核は非常に大きくて、同じ核という名前であるが、延髄や橋における核と同一に論ずることはできない。
 視床は中脳以下の脳の諸部および脊髄と、後述の大脳皮質および大脳核とを結ぶ非常に大きい中継所で、皮膚知覚の伝道路である内側毛帯(Lemniscus medialis)や脊髄視床路(Tractus spinothalamicus)を受け入れ、これに接続する神経線維を大脳皮質における中枢に送るほか、小脳その他から来る各種の上行繊維を受け入れて、これを大脳皮質や大脳核の諸部に伝達し、また逆に大脳皮質や大脳核から来る多数の神経繊維を受け入れている。これらの視床に出入りする神経線維は、胎生第3月頃から認められるようになり、その一部は集まって内側および外側髄板(Lamina medullaris thalami interna et externa)を形成する。
 視床の後端付近から視床後部(Metathalamus)が発生する。これは内側および外側膝状体(Corpus geniculatum mediale et laterale)という2個の灰白質に分化するが、これらは視床の後方への増大によって圧迫されて、結局、視床の後部の腹側面上に位置するようになる。内側膝状体は聴覚神経路の、外側膝状体は視覚神経路の中継核で、それぞれ、外側毛帯(Lemniscus lateralis)および視索(Tractus opticus)を受け取り、これに接続する神経線維を大脳皮質における聴覚中枢および視覚中枢に送る。

c. 視床上部  
 視床上部(Epithalamus)はヒトでは退化的で、これに属する構造物としては、松果体(Corpus pineale s. Epiphysis)と手綱(Habenula)および手綱三角(Trigonum habenulae)が識別されるのみである。
 松果体は、胎生第7週において、間脳の蓋板の後端正中部から後方に向って生じる1個の中空の膨出として発生する。これは次第に大きくなって後上方に突出し、終には中脳の四丘体を背側から被うようになる。始めは第三脳室に続く相対的に広い内腔を持っているが、発生が進むと壁の肥厚によって次第に充実性となり、その内腔は松果陥凹(Recessus pinealis)として残る近位部のみとなる。
ヒトにおけるこの器官の生理的意義は今日なお十分に解明されていない。
 第三脳室蓋板が視床の背内側端に移行する部位を視床紐(Tenia thalami)といい、この位置に一致して嗅脳からの神経線維束が前方から後方に向って走っている。この繊維束を視床髄条(Stria medullaris thalami)という。この視床髄条は後方にいくにつれてやや太くなり、手綱と呼ばれるようになる。手綱の後端部、即ち、松果体の付け根の左右両側端において、この神経線維に関連する神経細胞が集まって小さい灰白質塊をつくる。これが手綱三角の主体をなす手綱核(Nucleus habunulae)であり、これから出る神経線維束は反屈束(Fasciculus retroflexus)として、中脳の脚間核に至る。このように、松果体を除く視床上部は嗅覚と深い関係を持つものである。
 左右の手綱三角は、松果陥凹の上壁を通る小繊維束によって互いに結合している。この繊維束を手綱交連(Commissura habenularum)という。松果陥凹の下壁をなす部分は、手綱交連よりもはるかに太い交連繊維束によって構築されている。これを後交連という。

d. 視床下部
 視床下部は間脳の外側壁の腹側半と腹側壁の肥厚によって形成される。発生の早期においては、視床下部は背側の視床よりもむしろ大きいくらいであるが、その後の視床の強大な発育につれて、視床下部は相対的に小さくなり、完成したヒトの脳では、視床の腹側に続く比較的狭い範囲を占めるに過ぎなくなる。これとともに、始め間脳の外側壁のほぼ中央部を前後方向に走っていた視床下溝は、視床の増大とともに次第に腹方に変位し、終には間脳の外側壁の腹方(下方)約1/5のところを前後に走るようになる。
視床下部の腹側面には様々の構造が発生する。
 視床下部の前端をなす視陥凹(眼胞の出発部)のすぐ後方に続く腹側壁は、胎生第5週頃から肥厚を始めて、視交叉板となる。眼球の網膜が形成されるにつれて、網膜から出る視神経繊維は、この視交叉板に進入し、全体として視交叉(Chiasma opticum)を形成する。
 視交叉板の後方に続く間脳底は円錐形をなして腹方に突出する。これが漏斗(Infundibulum)で、その末端部は膨大して、下垂体後葉となる。
 間脳底の後端部においては、正中腺上に1個の半球状の高まりが生じる。これはやがて左右に分かれ、2個の充実性の乳頭体(Corpus mamillare)となる。漏斗と乳頭体の間の部分は肥厚して、灰白隆起(Tuber cenereum)となる。
 これらの構造物の内部、およびその背側に続く視床下部の内部には、神経細胞の集合によって、およそ8個に大別される神経核ができる。これらは、いずれも、自律神経機能の最高中枢として、きわめて重要な意義を持つものである。
なお、視床と視床下部とを境する視床下溝に接する部分において、二次的分化が起こり、その結果、ここに特別の領域が区別されるようになる。この領域の構成には、視床も視床下部も、共に関与しているので、視床下部(Hypothalamus)から区別して、特にSubthalamusと呼ばれている。この領域に属する構造物としては、視床下核(Nucleus subthalamicus Luysi)、不確帯(Zona incerta)、および脚内核(Nucleus entopeduncularis)などがある。
また一般に大脳核の1つに数えられている淡蒼球(Globus pallidus)も、発生学的には、この領域と極めて近縁のものである(後述)。
 
3.  終 脳 
a. 終脳発生の基本様式
 終脳は、上述のように、前脳胞の頭側端部(前端部)をなす終脳正中部とその左右に膨出した1対の半球胞とからなり、半球胞の内腔(側脳室)は相対的に広い室間孔によって終脳正中部の内腔である終脳室無対部に通じている。
 終脳正中部はあまり拡大せず、従って、発生が進むと半球胞や間脳胞に比べて相対的に狭小となり、その内腔は第三脳室の前端の小部分を占めるに過ぎなくなる。この正中部の背側壁(蓋板)は間脳の蓋板に直接続き、上皮性脈絡板として、第三脳室脈絡組織の一部となる。また一方では、半球胞の膨出につれて、室間孔の上壁を経て、半球胞の内側面に延長していき、側脳室脈絡板(Lamina chorioidea ventriculi lateralis)となる。
 終脳正中部の前壁は神経管の頭側端を閉ざすもので、終板と呼ばれるが、これは左右の半球胞が実質的に結合している唯一の場所であり、左右の半球胞(後の大脳半球)を結ぶ交連繊維は総てこの終板の背側部を通る。その結果、この部分は次第に肥厚して、交連板となる。交連板と視交叉板の間の部分はあまり肥厚せず、狭義の終板として、第三脳室の前下端部を閉ざす。
 胎生第2月の中頃から、半球胞の腹側壁、即ち、室間孔の下外方を境し、間脳、特に視床下部の前方に直接続く部分において、盛んな細胞分裂が始まり、この部分が半球胞の内腔(側脳室)に向って隆起する。この丘状の隆起を大脳核丘、または広義の線条体(Corpus striatum、英米系)という。大脳核丘は半球胞の増大につれて急速に大きくなり、半球胞の腹側ないし腹外側壁のほぼ全体を形成する著明な高まりとして、室間孔の前方から半球胞の後端付近にまで達する。これに対して、大脳核丘以外の場所では、半球胞の壁は、胎生期間の中頃に至るまで、比較的薄い状態を保ち、側脳室を前・外・後および背方から囲む。この部分を外套(Pallium)という。こうして半球胞の壁は、大脳核丘と外套に分かれ、大脳核丘からは大脳核が、外套からは大脳皮質が形成される。

 b.  外套の分化
 半球胞は発生の進行につれて急速に増大していくが、この際、外套および側脳室の拡大が、大脳核丘の増大よりもずっと速いので、やがて、外套および側脳室が大脳核丘を前・上・後および後下方から包むようになる。これは半球胞を外から見たときの、半球胞の前・上・後・および後下方への発育拡大に対応するものであり、このようにして、大脳半球外套部において、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、および側頭葉が形成される。これに対応して、外套の内腔である側脳室においても、前角、中心部、後角および下角が区別されるようになる。
 このように、外套およびその内腔である側脳室が、大脳核を取り囲む弓形をえがいて増大していく発育様式は、後述する多くの終脳の構造物(脈絡野、アンモン角、尾状核など)の特異な形態の理解の基礎となるものである。
 外套は外方(lateral)に向かっても活発に増大していくが、大脳核の外方への発育がこれに及ばないので、大脳核が存在する半球胞の基底部は、その前・上および後下方を囲む前頭葉、側頭葉および側頭葉から次第に陥没するようになる。こうして、大脳半球外側面の腹側中央部に生じた凹みを大脳外側窩(Fossa lateralis cerebri)という。また大脳核丘の外側面で大脳外側窩の底をなす部分を(Insula)といい、島を外方から被う外套の部分を島弁蓋(Operculum)という。島弁蓋はそれの属する大脳葉に従って、前頭弁蓋、頭頂弁蓋および側頭弁蓋と呼ばれる。発生が進むと、島弁蓋の増大によって、島は後上方から前下方に向かって被われていき、始め広かった大脳外側窩は、大脳半球外側面の腹側中央部から後上方に走る、深くて狭い溝となる。これを大脳外側溝(Sulcus lateralis cerebri)という。
 大脳外側窩を別にすると、大脳半球の表面は、胎生第5月の中頃までは平滑で、凹凸を示さない。第5月の終り頃から、外套の発育に部位的不平等が起こり、発育の緩やかな部位は盛んに発育する部分から取り残されて、次第に深く陥没して溝となる。これが大脳溝(Sulcus cerebri)である。最初に出現するのは、半球内側面における鳥距溝(Sulcus calcarinus)で、後頭極からほぼ水平に前方に走る。続いて鳥距溝の前端から後上方に走る頭頂後頭溝(Sulcus parieto-occipitalis)が識別されるようになる。また半球内側面の前部では、半球の前縁および上縁にほぼ平行に弓形をえがく帯状溝(Sulcus cinguli)が出現する。
 大脳半球外側面では、内側面における鳥距溝の出現にやや遅れて、中心溝(Sulcus centralis)が半球上縁のほぼ中央から斜めに前下方に走る浅い溝として出現する。
 胎生第7月に入ると、半球の増大につれて、これらの溝は深くなり、更に中心前溝、中心後溝、頭頂間溝、上および下前頭溝、上側頭溝、側頭溝などが出現する。溝と溝の間の部分は高まって、大脳回(Gyrus cerebri)となる。
 こうして第7月の終り頃になると、大脳半球の外表面の基本形が完成する。その後、外套の発育はますます加速され、これらの溝の間に第2次、第3次の溝が生じ、また溝の一部に屈曲や断裂が起こるので、大脳溝および大脳回の状態は次第に複雑になり、著しい個体差を示すようになる。こうして大脳半球の表面は広大な表面積を獲得し、総数140億に達するといわれる神経細胞を収容する大脳皮質に分化する。

 c. 大脳皮質の組織発生    
 このように発育・増大していく外套は、始めのうちは薄く、神経管の他の部分におけると同様に、胚芽層・外套層・縁帯の3層が識別されるのみである。
胎生第2月の終り頃から外套層が厚くなり、幼若な神経細胞が表層にむかって遊走を始め、狭い縁帯の直下に密集して、ここに細胞密度の高い表在性細胞層を形成する。これが大脳皮質の原基で、胎生第3月の始めに、先ず大脳核の腹外側部、即ち後に島になる領域に出現する。ついで速やかに半球の外側壁、背側壁、前壁、後壁を経て内側壁に広がっていき、胎生第3月の中頃になると、側脳室を囲む外套の総ての部分に認められるようになる。
 この皮質原基と胚芽層の間、即ち、元来の外套層には、皮質原基の幼若神経細胞から出る神経線維によって厚い神経線維層が形成される。この神経線維層は、その後、他の脳部から皮質原基に到着する繊維も加わるので、急速に肥厚する。胚芽層においては、この間にも引き続いて盛んな細胞分裂が行われており、ここで生じた幼若な神経細胞は、この厚い神経線維層を貫いて皮質原基に加わる。こうして皮質原基は厚くなると共に、その細胞密度は著しく増大する。
 胎生第5月に入ると、皮質原基の幼若な神経細胞は頂点を脳の表面に向けた小型の錐体形の神経細胞に分化し、同時に細胞相互間の間隔が開いてくる。従って、皮質原基は全体として厚くなる。この際、先ず皮質原基の深部約1/ 2の範囲で分化が起こるので、皮質原基は細胞の配列がやや疎になった深層と、細胞の配列が密な表層に分かれる。
 胎生第6月になると、この表層も深層も更に分化し、第6月の終り頃には、5層の細胞層と表在性の縁帯を合わせて、6層の層構造を示す大脳皮質が形成される。6層とは以下の通りである。

I. 表在層または分子層 Lamina zonalis s. molecularis
II. 外顆粒層 Lamina granularis externa
III. 外錐体層 Lamina pyramidalis externa
IV. 内顆粒層 Lamina granularis interna
V. 内錐体層(神経細胞層)Lamina pyramidalis interna s.L. ganglionaris
VI. 多形細胞層 Lamina multiformis

 これらのうち、第1〜第4層は外基礎層と呼ばれ、受衝性および連合性機能を営むものであり、更に顆粒層と呼ばれる小型の神経細胞からなる第2および第4層は主として受衝性に働き、さまざまの大きさの錐体形の細胞からなる第3層は、主として連合性に働くものと信じられている。
 一方、第5および第6層は内基礎層と呼ばれ、発動性および連合性機能を営むものである。中でも第5層に含まれている大型の錐体細胞は、下位の脳部や脊髄に達する長い神経線維(遠皮質繊維 corticofugal fibers)を出すものと考えられている。
 このように、6層の間では一種の分業が行われている。即ち、外基礎層は主として視床を経由して来る身体各部からの情報を受け取って、これを分析・判断し、これに応じる反応を、内基礎層が脳および脊髄の各部を通して、身体抹消に返しているのである。
 この6層構造を示す大脳皮質は、系統発生的に見ると、哺乳類になって初めて出現する、中枢神経系の中で最も新しい構造で、新皮質(Neocortex)と呼ばれている。また、新皮質は発生のある時期においては、どこでも上記の6層構造をそなえているので、等皮質(Isocortex)とも呼ばれる。
しかし発生が進むにつれて、部位によって各層の発育に差異が生じ、ある層が特に肥厚したり、逆にある層が不明瞭になったり、消失したりするために、完成した脳においては、大脳皮質の層構造は部位によって著しい差異を示し、所によっては6層を区別できないことさえある。上述のように、各層は機能的分業を営んでいるのであるから、このような大脳皮質の層構造の部位的差異は、ある程度までその部位の機能的分化に対応するものである。
 たとえば、視覚伝道路の終わる鳥距溝周囲の皮質(Brodmann のArea 17)や皮膚知覚伝道路の終わる中心後回(Area 3, 1, 2)など、受衝性の性格の強い領域では、第2および第4層の発育がよくて、第5層の発育が弱い。反対に運動性脳脊髄神経核に繊維を与える中心前回(Area 4)においては、第3および第5層の発育が強大であるのに対して、第4層は認められず、第2層も微弱となっている。
 新皮質に出入りする神経線維は、前述のように、皮質と胚芽層(後には側脳室上衣層)の間に厚い神経線維層を形成する。この繊維層は皮質の形成とともに厚くなり、さらに個々の繊維が髄鞘を獲得するので、この繊維層は全体として極めて広大な白質となる。神経線維としては、始めは視床や大脳核から大脳皮質にいたるもの、およびこれと逆方向のものが主であるが、後には大脳皮質から直接中脳以下の脳部や脊髄に達するもの(投射繊維 projection fibers)や、同側および反対側の大脳皮質の諸部を結ぶもの(連合繊維 association fibersや交連繊維 commissure fibers)が極めて多くなる。

 d. 大脳核丘の分化と内包の形成
 大脳核丘(Ganglienhuegel, 英米系では広義の Striatum)は、始めは半球胞の腹側壁をなしており、側脳室の前端から後端にまで達する大きな高まりとして、側脳室の内腔に隆起している。側脳室に隆起している大脳核の表面には、一過性に前後方向に走る溝が現れて、大脳核を内外の2部に分けるが、やがて大脳核全体の急速な増大によって、この溝は認められなくなる。大脳核丘の部分では、半球胞の中で最も早くから外套層および縁帯が分化し始める。特に外套層が急速に肥厚する。これが大脳核丘が発生の早期に側脳室の中に隆起することの主な原因である。
 外套(Pallium)における大脳皮質の形成が進み、大脳皮質から出て、視床およびそれ以下の脳脊髄の各部へ行く神経線維が生じると、これらは外套と大脳核丘の移行部から大脳核丘の中に進入し、大脳核丘を背外方から腹内方に向かって斜めに貫通して、室間孔の後縁のところで間脳の前端部に進入する。やがて出現する視床経由で大脳皮質に達する繊維も、これと同じ道を逆行して、大脳皮質の各部に放散する。
 大脳皮質の強大な発育につれて、これら大脳皮質に出入する繊維も莫大な数となり、これらは大脳核丘を背外方から腹内方に向かって貫通する極めて強大な繊維野を形成する。これが内包(Capsula interna)である。(この名前は元来レンス核を内方から包むものと言う意味でつけられたものである。)
 大脳核丘は、こうして内包によって側脳室に隆起している背内側部と、島の内側にあたる腹外側部に分割される。前者を尾状核(Nucleus caudatus)、後者をレンズ核の被殻(Putamenn)という。尾状核と被殻の分離は、しかしながら、必ずしも完全でなく、特にその頭側部では、両者は内包の繊維束を貫く帯状の灰白質によって繋がっている。また両者の細胞構築像はほとんど同じであり、脳の各部に対する繊維結合関係も共通である。このような理由から、神経学では両者を纏めて線条体(Corpus striatum s. Striatum)として取り扱うのが普通である。
 被殻の内側に接して淡蒼球(Globus pallidus s. Pallidum)と呼ばれる灰白質があり、被殻とともにレンズ核を形成している。この淡蒼球は、しかしながら、神経細胞の状態も、神経線維の結合関係も、被殻とは全く異なっている。またその由来についても、今日では一般に終脳由来ではなくて、間脳、特にSubthalamus ないしHypothalamusに由来するものであり、これが内包の進入によって転位させられ、終脳の領域に入ったものであると考えられている。従って被殻と淡蒼球とを一つにまとめてレンズ核とする歴史的名称は、発生学的にも、神経学的にも、適当ではない。今日の神経学では、淡蒼球は線条体と対置するべきものとして取り扱われている。
大脳核丘の外側面、即ち、島の領域には、前述のように、6層構造を示す新皮質(島皮質)が形成される。この島皮質と被殻との間には、薄い板状の灰白質が分離する。これは前障(Claustrum)と呼ばれ、被殻とは外包(Capsula externa)によって、島皮質とは最外包(Capsula extrema)という薄い白質によって隔てられている。前障はヒトでは退化的であるが、イヌやネコなどの動物では発育良好で、特にその腹側部は肥厚して著明な灰白質塊をなし、次に述べる扁桃核と密接に関係している。
 大脳核丘からは、なお扁桃核(Nucleus amygdalae s. Corpus amygdaloi-deum)が生じる。この灰白質は大脳核丘の腹側部に位置し、始めは前後方向に長いものであるが、側頭葉の形成が進むと次第に前方に圧縮され、結局、側頭葉の前端部で、側脳室下角の前端の前上部に位置するようになる。この核を内方および下方から被う大脳皮質は、6層構造を示さず、嗅覚と深い関係を持つもので、系統発生的には線条体よりも古いものである。
 半球胞の発生過程から明らかなように、半球胞と間脳の結合は、元来、室間孔の後縁および下縁において、大脳核丘の腹内側部と間脳(視床および視床下部)の前端部の間の、比較的狭い領域で行われている。この領域が大脳皮質から出て視床およびそれ以下の脳脊髄の各部に至る遠皮質繊維、ならびに視床経由で大脳皮質の各部に達する求皮質繊維が通過できる唯一の場所であるから、大脳皮質が発達して皮質に出入する繊維が増加すると、これらは強大な内包を形成しながら、大脳皮質のあらゆる部分から、この狭い結合部に向かって殺到することになる。その結果、この狭い結合部は次第に押し広げられていき、終には、視床の全外側面に拡大する。これによって、視床はその全外側面において大脳核丘の内側面と結合することになり、視床の外側自由表面は存在しなくなる。この結合が拡大するにつれて、発生の早期に明瞭であった半球溝は不明瞭となり、結局、完全に消失する。

e. 脈絡野
 半球胞の内側壁で、側脳室無対部の上壁をなす蓋板(これは既に述べたように、第三脳室蓋板の前端部そのものである)の外側(lateral) に続く部分は、肥厚せず、単層立方上皮よりなる極めて薄い上皮性膜の状態となる。これを脈絡野(Area chorioidea)という。言い換えると、脈絡野は第三脳室蓋板の前端部が、半球胞の膨出につれて、半球胞の内側壁に伸びてきたものである。
 半球胞の発育につれて、外套およびその内腔である側脳室が、大脳核丘を囲む弓形をえがいて、後方ついで後下方に拡大していくと、この脈絡野も帯状の領域として、まず後方に、ついで後下方に伸長していき、結局、側脳室下角の前端部に達する。
 脈絡野は血管を多く含む間葉組織によって裏打ちされ、やがて側脳室の内腔に向かってヒダ状に陥入して、側脳室脈絡叢(Plexus chorioideus ventriculi lateralis)を形成する。
 脈絡野はその腹側縁で大脳核丘に移行している。脈絡野のうちで、側脳室脈絡叢として脳室内に陥入した部分と、この移行縁の間の部分は、付着板(Lamina affixa)と呼ばれる特別の領域となる。
 内包の形成の項で述べたように、強大な内包の進入によって間脳(視床)と大脳核丘の結合部は押し広げられ、最終的には視床はその全外側面において大脳核丘の内側面と結合する。これと同時に視床の強大な発育につれて、始め狭かった視床の背側面が著しく外方(lateral)に向かって拡大する。こうなると、大脳核丘の腹側部(付着板)は、視床の背側面の外側部に癒着する。この癒着部は視床全体の背外方への増大の結果、完成した状態では、視床背側面の外側部を占めるようになる。こうして、終脳室の壁の一部である脈絡野の一部が、視床(間脳)の背側面の外側部を被うという奇異な状態が生じる。それでこの部分を特に付着板と呼ぶのである。
視床の背側面は、本来、間脳の自由表面であるから、脳膜原基である間葉組織によって被われているべきものであり、実際、視床背側面のうちで付着板に被われていないその内側半は間葉組織によって被われており、本来の状態を維持している。付着板が視床背側面の外側部に癒着すると、大脳核丘と視床の境界線に沿って走っていた分界静脈(Vena terminalis)は、付着板と視床の間に封じ込められる。付着板が側脳室脈絡叢に移行する部分を脈絡紐(Tenia chorioidea)という。

 f. 嗅 脳
 嗅脳は終脳のうちで嗅覚に関系した部分であり、爬虫類までの脊椎動物では、これが終脳の総てであるが、哺乳類では他の終脳部、即ち、新皮質とこれに関係する大脳核が巨大となるために、嗅脳は終脳全体から見ると全く狭小となる。このことはヒトの脳において特に極端である。
 胎生第5週において、半球胞前部の腹側面の内側部で、大脳核丘の前方に続く部分が腹方に向って隆起し、半球腹側面に前後方向に走る高まりを形成する。これを嗅葉(Lobus olfactorius)という。これを半球胞の内面で見ると、嗅葉に一致して側脳室の底に前後方向に走る溝が認められる。
 胎生第3月に入ると、嗅葉の前方部は管状となって半球胞の底から分離し、その前端部はやや膨大した盲端をもって終わっている。この膨大した前端部を嗅球(Bulbus olfactorius)といい、これが嗅窩の上壁の嗅細胞から出る嗅繊維(嗅神経)を受け入れる。嗅球およびその後方に続く管状の部分は、側脳室に続く内腔を持っている。これを嗅室(Ventriculus olfactorius)という。嗅球の壁はその胚芽層から生じる神経細胞によって埋められ、嗅球の後方に続く管状の部分は、嗅球の神経細胞から出て後方に走る神経線維によって埋められて、次第に厚くなり、結局、嗅室は消失し、嗅球もその後方に続く管状の部分も共に充実性となる。この神経線維によって埋められた管状の部分が嗅索(Tractus olfactorius)である。
 嗅索の後方に続く嗅葉の後方部は、半球の腹側面に移行するが、この部分は肥厚して嗅結節(完成した脳に於いては前有孔質 Substantia perforata anterior または嗅野 Area olfactoria と呼ばれる部分)となる。嗅結節の後方に続く半球の腹側面は大脳核丘の前端部の腹側面を被う部分であり、ここには梨状葉(Lobus pyriformis)と呼ばれる特殊な大脳皮質が形成される。梨状葉は前頭葉の腹側面から側頭葉前端部の腹内側面に広がり、前方から後方に向って、外側嗅回、疑回、半月回、および海馬回鈎(Uncus gyri hippocampi)などの各部に分化する。しかし、ヒトでは、これらはいずれも退化的で、発生が進むと、海馬回鈎以外の部分は識別が困難になる。海馬回鈎の内部には、大脳核のところで述べた扁桃核が存在する。

g. アンモン隆起 
 半球胞の内側面で、脈絡板の背側に続く部分は、胎生第3月の中頃から肥厚を始め、側脳室に向って軽度に隆起し、それ以外の外套部から区別されるようになる。この隆起をアンモン隆起、または広義の海馬(Hippocampus)という。   
 アンモン隆起は半球胞の増大につれて、脈絡野の外周に沿って後方に伸び、弓形をえがいて側頭葉(側脳室下角)の前下端にまで達する。一方前方では、室間孔の前縁(終板が半球胞へ反転する部位)にそって前下方に伸び、半球胞の腹側面における嗅野に達している。
ヒトでは、発生が進むにつれて、アンモン隆起は側頭葉では比較的発育がよいが、それ以外の部分ではあまり大きくならず、全体として見ると、側頭葉では太く、これから脈絡板の外周および終板の付着縁に沿って上方、前方、前下方と進むにつれて次第に細くなる、一続きの環状の領域を形成する。
(この外形が、ホメロスのイリアスの中の武将アンモンの兜の角に似ているとして、アンモン角という名前が与えられたのである。)
 アンモン隆起においては、胚芽層から生じた神経細胞は6層構造を示さない特殊な大脳皮質を形成する。この皮質は更に、脈絡板に接する内帯とその外周を囲む外帯とに分けられる。これらの皮質から出る神経線維は、アンモン隆起の内帯と脈絡板の移行縁に集まって、ここに著明な繊維束を形成する。この繊維束を脳弓(Fornix)という。脳弓は海馬采(Fimbria hippocampi)としてとして側脳室下角に始まり、脈絡板の外周に沿って、まず後上方に、ついで前方に進んで室間孔の前上縁に達し、ここで脈絡板からもアンモン隆起からも離れて交連板に入り、室間孔の前縁に沿って下行して視床下部に進入し、視床下部の中を真っ直ぐに後方に進んで、結局、乳頭体に達して終わる。脳弓が交連板に進入した際、一部の繊維は交差して反対側の脳弓に入る。この交叉を脳弓交連または海馬交連(Commissura fornicis s. hippocampi)という。
 脈絡板の外周で、脈絡板が脳弓に移行する付着縁を脳弓紐(Tenia fornicis)という。この脳弓紐と、付着板の内側縁である脈絡紐の間の脈絡板は、既に述べたように、血管を多く含む間葉組織によって裏打ちされて、ヒダ状に側脳室の中に陥入して、側脳室脈絡叢を形成する。
 胎生第4月の終り頃から、新皮質の増大につれて、左右の大脳半球を連絡する交連繊維が増えてくる。これらの交連繊維は総て交連板を通過するので、交連板のこの部分は急速に拡大し、全体として脳梁(Corpus callosum)を形成する。この際、新皮質、特に頭頂葉、後頭葉、および側頭葉が巨大になるにつれて、脳梁は交連板を拡大しながら、後方に向って増大していく(この過程の詳細は次章で述べる)。この際、脳梁が脳弓とアンモン隆起の内帯の間に割り込み、両者を分離しながら後方へ進んでいくので、脳梁が形成される範囲では、アンモン隆起は内帯も外帯も極度に退化し、それらは脳梁の背側面における脳梁灰白層(Induseum griseum)および脳梁髄条(Striae longidudinales corporis callosi)として、痕跡を留めるのみとなる。
 一方、脳梁の前下部では、脳梁灰白層に続く内帯は終板旁回(Gyrus paraterminalis s. subcallosus)となり、さらに半球腹側面にのびて、嗅野の対角帯(Diagonalband, Broca )となる。
 ヒトでは、このように脳梁の巨大な形成によって、アンモン隆起の大部分は極端に退化するが、脳梁の形成が弱小であるような動物、例えば、ウサギやネズミなどでは、アンモン隆起の発育は非常に良好で、側脳室下角から室間孔の前下縁のところまで続く弓形の大きな領域を形成している。
 嗅野、梨状葉、アンモン隆起の内帯および外帯は、いずれも嗅覚と深い関係を持つ特殊な大脳皮質である。これらは系統発生的には新基質より古く、組織学的には6層構造を示さず、各領域がそれぞれ独特の細胞配列を示す皮質となっている。この意味から、これらの皮質は不等皮質(Allocortex)と呼ばれ、また系統発生上の古さによって古皮質(Paleocortex, 嗅野)および中古皮質(Archicortex, 梨状葉およびアンモン隆起の皮質)と呼ばれることがある。

 h. 交連系 
 既に繰り返し述べたように、大脳皮質の形成が進むと、左右の半球を結ぶ神経線維、即ち、交連繊維が増加する。左右の大脳半球が実質的に結合しているのは終板(Lamina terminalis)の部分だけであるから、これらの交連繊維はすべて終板、特にその背側部に向かって集中してくる。その結果、終板の背側部は次第に肥厚してきて、交連板と呼ばれるようになる。
 最初に出現するのは、左右の嗅脳を結ぶ前交連(Commissura anterior)で、交連板の腹側部を通る。発生が進んで側頭葉が形成されると、左右の側頭葉の基底部を結ぶ繊維が加わり、前交連は次第に太くなる。ヒトでは、後から加わった左右の側頭葉を結ぶ繊維が、前交連の主成分となっている。
 第2の交連は脳弓交連で、左右のアンモン隆起を結び、交連板の背側端部を通る。この交連はヒトでは退化的である上に、巨大な脳梁によって圧迫されるので、完成したヒトの脳では識別が困難になっている。
 第3の交連は、左右の新皮質を結ぶ脳梁(Corpus callosum)である。脳梁は胎生第4月の終り頃、脳弓交連の前上方に接する小繊維束として出現する。新皮質の巨大な発育につれて、脳梁は急速に増大し、交連板を押し広げながら、先ず前上方に、次いで上方に、その後は専ら後方に発育していく。後方への拡大・伸長は、前述のように脳弓とアンモン隆起の内帯の間を押し分けて進み、側脳室中心部の後端付近にまで達する。この際、脳弓交連は脳梁に伴われて後方に転位し、結局、脳梁後端部の下面に付着することになる。ただし完成したヒトの脳では、その識別は困難である。
 脳梁の後端部には左右の後頭葉および側頭葉を結ぶ神経線維が集中するので、この部分は特に膨大して、脳梁膨大部(Splenium)と呼ばれる。これと同様に、脳梁の前方部も左右の前頭葉を結ぶ神経線維の集中によって膨大して、脳梁膝(Genu corporis callosi)と呼ばれる。
 脳梁が脳弓とアンモン隆起の間を押し分けて後方に伸長していく結果、この範囲では、脳弓は、正中線の左右に並んで、脳梁の下面に付着することになる。
 脳梁が、始め交連板の背側部で脳弓交連の前上方に出現し、ここから先ず前上方に、次いで上方、更に後方へ発育していくにつれて、この脳梁と脳弓交連および脳弓の間を占めていた交連板の組織は、次第に引き伸ばされて薄くなり、透明中隔(Septum pellucidum)となる。透明中隔の内部には、後になると、グリア細胞の分散・消失によって、左右の幅が極めて狭い隙間が生じる。これが透明中隔腔である。これは、その成立過程から明らかなように、脳室系の空間とは、全く無関係のものである。
 
 む す び
 以上、非常に難解であると言われている中枢神経系の発生過程を、やや詳しく述べた。ここに述べた外形の発生(形態発生)と内部の細胞構築の成立(組織発生)は、中枢神経系の機能である統合作用という観点からすれば、発生完了ではなくて、出発点と言うべきである。即ち、細胞構築の成立に続いて起こる繊維連絡の完成こそ、真の意味で統合作用を実現するものである。この観点からすると、中枢神経系の発生学は、今日なお十分に解明されているとは言い難い。中枢神経系の発生学に対する関心が高まり、これが発展することを念願して止まない。
2011. 07. 26.
2011. 07. 31.
 
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